第十一回「南湖神社創建(その二)」
大正11年(1922)に南湖神社(なんこじんじゃ)の社殿が完成すると、同年6月12日、東京の松平定晴(まつだいらさだはる)(定信の子孫)子爵家(ししゃくけ)から白河に御神体が奉送されました。御神体には、松平子爵、徳川宗家(とくがわそうけ)代表、渋沢栄一(しぶさわえいいち)、さらに奉迎に上京した表徳会関係者が随伴。一行を乗せた列車は、午後7時40分に白河駅に到着しました。
駅前には、白河町民をはじめ近隣の人々が大勢集まり、立錐(りっすい)の余地もないほどでした。出迎えの町民が大小数千の提灯(ちょうちん)を掲げた様子は「まさに火の海のようであった」と渋沢は驚いています。
御神体の行列は、神職・楽人(がくにん)、御神体、その後ろに松平子爵、渋沢、表徳会の役員などが続き、各町内の高張(たかはり)提灯が掉尾(とうび)を飾りました。
白河駅から中町、天神町を通り、一番町から九番町を経て南湖に到着すると、湖面には数百の灯籠が浮かべられ、花火が次々と打ち上げられました。渋沢はその森厳(しんげん)さに「正に竜宮とはかくの如きものか」と記録しています。
翌日午前10時から鎮座祭が挙行され、松平子爵、徳川家代理、渋沢、福島県知事その他関係者が多数列席し、荘厳裡(そうごんり)に式は終了しました。
翌12年、南湖神社は県社に昇格。同14年、渋沢は下村観山(しもむらかんざん)と橋本永邦(はしもとえいほう)に描いてもらった『楓図』と『桜図』を神社に奉納しています。また、現在、鳥居の側に立てられている社標は、渋沢の揮毫(きごう)によるものです。
南湖神社は来年、創建100周年を迎えます。
▲南湖神社鎮座祭の行列(大正11年)(『白河市史(旧版)下巻(1971)』より)
文・中山義秀記念文学館 館長 植村美洋(当時)
広報しらかわ 令和3年(2021)11月号掲載
- 2024年7月9日
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