市長の手控え帖 No.177「”人間”を追い求めた脚本家」
松本清張の『砂の器』は映画もヒットした。国鉄蒲田操車場で遺体が見つかる。聞きこみの末、被害者がズーズー弁で、若い男と話しこんでいた。二人はしきりに「カメダ」と口にしていた。人名か地名か?今西刑事(丹波哲郎)は「羽後亀田駅」の存在を知り、秋田に飛ぶ。
夏のあぜ道をてくてく歩く場面、歩き疲れ山門の前に腰を下ろす場面。日本の風土が刻印され、映画の「長い旅路」の伏線になっている。事件に結びつく情報は得られず捜査は難航。やがて被害者は奥出雲に勤務していた元警察官と判明。また当地に「亀嵩駅」があった。専門家から出雲弁は東北弁に似ていることを聞く。これが事件解決の糸口になった。
何故出雲と東北がつながっているのか。古代、出雲は大きい力を持っていた。出雲人は海を北上。日本海沿岸との交易、移住により出雲弁が東北北部まで及んだといわれる。また遺伝子から両地域は渡来人の血が少なく、同一か近似していることが裏付けられている。奥出雲出身の竹下登元首相は訛っていた。発音が心地いいのはそのせいなのかもしれない。
次第に犯人の過去が浮かびあがり、本浦秀夫という男にたどりつく。父千代吉がハンセン病にかかる。村を追われ、親子は巡礼姿で放浪の旅に出る。秀夫7歳のとき亀嵩にさしかかり、情深い巡査三木謙一に保護された。父を療養所に入れたが秀夫はすぐに姿を消した。大阪空襲で戸籍が焼失したのに乗じ、和賀英良になりすました。今や気鋭の音楽家として名声が高まっていた。殺人は、秀夫が自身の過去を知る者を消すためだった。
砂の器は全国紙に一年掲載された。清張は"稀代の脚本家"橋本忍に映画化を頼んだ。橋本は冗長で複雑すぎると、興味を示さなかった。だが、助手についた山田洋次の「これはやらなければいけませんよ」の一言で企画が決まった。
橋本はあるアイデアを思いつく。小説では、父子の旅について20字くらいしか書いていない。さらに『その旅がどのようなものだったかは、彼ら二人しか知らない』とある。「洋ちゃん、これだけで映画つくろうや」かくして、父子の旅の描写がクライマックスに据えられた。
橋本にとって原作は、生血を絞り出すための獲物にすぎない。人間や人間の運命を描き出す素材以外は捨てる。原作を冒涜し自らを顕示するものではなく、作者が目指すものだけを取り出そうとした。清張は父子の旅を書きたかった筈だ!
通常、事件ものは物語を綿密に組み立てて真相に近づく。橋本は捜査や推理の過程を飛ばし、いきなり結論に達した状況から全貌を一気に説明する。謎解きとしては弱いが、劇的な人間ドラマに引きこむ。捜査が佳境に入るところで、場面は一転、本部会議へ移る。今西から逮捕状請求の弁が切々と語られる。
和賀のピアノに合わせて演奏が始まり、同時に主題曲『宿命』が流れる。そこから今西の捜査報告と和賀の回想が折り重なりつつ、宿命の調べに乗り、父子の旅が映し出される。行く先々で邪険にされ、苛められる。ぎゅっと口を結び社会を睨む子供の眼と、腹の底から振り絞られる父の嗚咽に、心が揺さぶられる。
日本の四季折々の風景の中を父子は流浪する。橋本はこの映像が作品を決定すると強くこだわった。晴天の場面では雲一つあってもカメラを回さない。決して急がない。厳冬の竜飛岬、春の信州、新緑の北関東、盛夏の山陰、紅葉の阿寒。一年かけて日本列島を縦断した。
セリフは脚本家の魂の結晶。だが当初書きこんだセリフは全て削った。映像に集中させ、映像と音楽の協奏効果を出すには言葉は邪魔。橋本の"創作"は大当たりだった。最後のテロップでこう締めた。~旅の形はどのように変っても親と子の"宿命"だけは永遠のものである。
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