市長の手控え帖 No.168「最期に輝く人生」
黒澤明監督の『生きる』(1952年)は不朽の名作。これが同時期の英国を舞台に『生きる living』として蘇った。主導したのはノーベル賞作家カズオ・イシグロ。若い頃に『生きる』を観て強い感銘を受けた。"何事も世間から称賛されるからやるのではなく、それが自分の成すべきことだからやる"。
黒澤映画のメッセージは、時代を超え、国を超えた普遍的な人生観ではないか!イシグロはずっとリメイクを考えていた。『クララとお日さま』の執筆中だったが、意を決して脚本を手がけることにした。高い評価の原作に重圧を感じながらも、黒澤映画の神髄をベースに、英国文化や情緒をどう表現するか腐心した。
主役は国民的俳優ビル・ナイ。イシグロは当初からビルを念頭においていた。感激したビルは脚本を読み「とても美しく明確で、素晴らしい役」と快諾した。ビルは物静かでストイックな英国紳士を演ずる。抑制され、端正で静謐な演技は際立っている。彼なくしてこの映画は成り立たなかった。世界の映画祭で絶賛された秀作に心が揺さぶられた。
ロンドン市役所の市民課長ウィリアムズ。ピン・ストライプの背広に山高帽子。厳格な空気を発しているが、山積みの書類を無感情に処理し、終業時に判で押したように帰宅する。妻を早く亡くし、同居の息子夫婦とも交流がない。生き甲斐もなく何となく過ごしている。ある日胃癌と宣告される。形容し難い孤独と死の恐怖。自分の人生は何だったのか?
浜辺で知り合った劇作家と夜の街へ繰り出す。だが心は晴れない。そんな折、役所を辞め喫茶店で働く若い女性に再会する。彼女は瑞々しく生命力に溢れ、感情のまま自然に生きている。映画や食事を共にし現実を忘れようとする。
彼女に余命のないことを告げる。「君と会って自分を見つめ直した。どうしたら君のようになれるのだろう…」話しているうちに気色が戻ってくる。彼女がゾンビとあだ名をつけていたことにも苦笑いする。これからでも、何かできるのではないか。そうだ、たらい回しにされていた公園造りに余生を懸けてみよう!課長は人が変わったように動く。
彼は従容として死を受け入れ、そこから真に生き始めた。完成したばかりの公園のブランコに揺られながら命尽きていく。この映画は人生を無為に過ごしていないか、人生に意味を与えるのは、誰かのために何かをすることだと教えている。
黒澤監督の『生きる』といえば『ゴンドラの唄』。胃癌に絶望する渡辺勘治。飲み屋で知りあった三文小説家と夜の繁華街を徘徊した後、カフェに寄る。ピアノ奏者にこの唄を注文。「いのち短し恋せよ乙女 朱き唇あせぬ間に…」。演じた志村喬は自己の境遇を憐れみ、生への執着を露わに、絞り出すように歌う。見開いた目から涙がこぼれ落ちる。鬼気迫る形相に店の女の子も後ずさりする。
英国版では、酒場でビルがスコットランド民謡『ナナカマドの木』を歌う。「ああナナカマドの木よ いつも懐かしく思い出す 幼き日の思い出に優しく寄り添う木 春の初めに葉を開き 夏の盛りに咲き誇る…」満ち足りた幼い日々、愛する妻子との甘美な思い出に浸る。驚くほど晴朗な声。そこに悲愴感はない。
雪の降る夜更けの公園。ブランコに揺られる勘治。達成感を味わい、微笑みをたたえながら歌う。ウィリアムズは自己の生涯を讃えるように歌う。「あの人は楽しそうにブランコに乗っていましたよ」との警官の言葉に、死の物語から生の讃歌への変転が込められている。
限りある生命を懸命に「生きる」。それが発する希望の輝きを、イシグロ版はより明確に打ち出している。映画を愛する世界の黒澤とイシグロ。70年の時を経て、世界中の人の心に火を灯した。
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