市長の手控え帖 No.161「あなたの国には 『さようなら』がある」
最近「さようなら」を言わなくなったように思う。「それでは」「じゃあ」「ほな」「せば」等は日常的に使われているが、余韻に欠ける。ある頃までは、誰もがさようならを口にしていた。小学校ではこの挨拶で下校した。映画にもこの言葉で別れる印象的なシーンがあった。
英語の別れの挨拶は「Good-bye」。原型は「God be with you(あなたが神と共にあらんことを)」という祝福の意味。日本人の別れの言葉はさようなら。グッドバイとは随分ニュアンスが異なる。「さようなら」は「左様ならば、これで…」の接続詞から転じたもの。「さらば」は真ん中の「ような」を略したもの。私たちには、さようならが最も馴染んでおり、ごく自然に、また美しく心に響く。
さようならには大きく二つの意味があるとされる。一方は、古い「こと」が終わった時、そこに立ち止まり「さようであるならば」と確認し、訣別しつつ新しい「こと」に立ち向かう心の構えをさす。一方は「そうならねばならぬのなら」と、その別れを何かしら、不可避の定めとして受け止める。そこには無常観が漂う。
不可避としての「さようなら」を見事に表現した女性作家がいた。アン・モロー・リンドバーグ。夫は1927年、プロペラ機でニューヨーク・パリ間の大西洋単独無着陸飛行に成功した英雄。自身も米国初の女性飛行家だった。
4年後、二人は北太平洋航路開拓のため、カナダ、アラスカを経て日本に飛行した。その途中、濃霧のため国後島へ不時着。暗闇の恐怖の中、漁民に救助された。その後、各地を巡り熱烈な歓迎を受ける。いよいよ横浜から船に乗る。埠頭を埋める人たちが口々に「さようなら」と叫び、別れを惜しんでいる。
この光景をアンは綴る。「さようならは『そうならねばならぬのなら』の意味だと教えられた。このように美しい言葉を私は知らない。なんと美しい諦めの表現だろう。英語のグッドバイは神のご加護を、仏語のアデューも神のみもとでの再会を期している。それなのにこの国の人々は、別れに臨んでそうならねばならぬのならと、諦めの言葉を口にする」
この文を紡ぐ前に残酷な事件があった。北太平洋飛行の翌年、夫妻の幼い息子が誘拐・殺害された。著名人の悲劇に世界は震撼した。アンの胸中で、別れの言葉が神と共にから「そうならねばならぬのなら」との諦念に変わったのは、この喪失感からきているのかもしれない。
随筆家須賀敦子は、しみじみとした情趣で人生の別れを描いた。須賀を外国文学へ誘ったのはアンの文章だった。「さようなら、という異国の言葉への深い思いを表現する文章は、私を閉じこめていた日本語だけの世界から解き放ってくれた。語源や解釈という難しい用語を使わないで、自国の言葉を外から見るという経験に誘いこんでくれた」と記す。
アンはさらに綴る。「サヨウナラは言い過ぎもしなければ、言い足りなくもない。事実をあるがままに受け入れている。人生の理解のすべてがこもっている。密かにくすぶっているものも含め、すべての感情が埋み火のようにこもっているが、それ自体何も語らない。言葉にしないグッドバイであり、心をこめて手を握る暖かさなのだ」なんと心の琴線に触れ、日本的精神に満ちていることか。
阿久悠は言う。「人間のさよなら史がどれだけ厚いかで、いい人生かどうか決まる。人間の心は、いつも湿り気を帯びていなければならない。心に噴霧器で水を与えるには、切なさや哀しみ、寂しさの自覚が不可欠である」
「さようなら」には日本人の無常観や死生観、諦観がこめられている。さようならが使われない社会は、パサパサに乾いたものになるだろう。幸せなことに私たちは珠玉の言葉を持っている。
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