市長の手控え帖 No.139「お座敷の道化師」
早いもので今年も師走。いつもは賑わうネオン街も、コロナ禍で人通りはまばら。来年は、ほろ酔い、千鳥足の酔人が行きかう光景を見たいものだ。さて明治~昭和の頃、実業家、大店の旦那衆は芸者を侍し、お座敷遊びをした。綺麗どころの歌、踊り、酌に上客の頬も心も桜色。だが座が盛りあがらないこともある。
そこで登場するのが男芸者。太鼓持ち、幇間と呼ばれるお座敷の盛りあげ名人。宴席で客のご機嫌をとり、笑わせ、心おきなく楽しませる。幇間が職業として成立したのは、江戸の中頃。幇間はもともと「幇閑」と書き、客の閑を助ける意味があった。「幇」は助ける。「間」は客と客、客と芸者の間、酒席で間ができた時に芸を披露し、興ざめさせない。
幇間になったのは大店の主人や息子、旗本の子弟など。放蕩が過ぎ身を持ち崩した者が多かった。もともと家柄も良く、教養もある。酸いも甘いも知りつくした道楽者。だからこそ心のひだまでも読み、気持ち良くさせることができた。漱石の『坊ちゃん』の「野だいこ」教師のような、単なるお追従者とは訳が違う。
「バカじゃできぬ。利口じゃできぬ」。「芸をやらなくてもいけない。やりすぎてもいけない」。歌や踊りは芸者の仕事。幇間はどちらも一流。諸芸百般に通じている。だが決して表に出さない。
なじみの客、初対面の客。宴会にも色々ある。笑顔でお辞儀し、すばやく座敷の雰囲気をつかむ。まず巧みな話術で和ます。場に応じた当意即妙の芸、出たとこ勝負の芸をやる。客を食わない、へりくだる、陰に回る。客は何を話したいのか、何を自慢したいのか。間をとりながら引き出していく。それが美学。
芸人は芸をする時が本番。幇間は芸の時は遊びで、芸をしていない時が"修羅場"。客は何を言い出すか分からない。声色をつかえ、屏風芸をしろ。それをさりげなく、軽やかにこなす。座が白けないよう、間ができないよう気を配る。
膳には箸をつけない。酒は酔わないよう口に含まず一気に流しこむ。客の酔いに合わせ、酔ったふりをする。ほこりが出ないよう半畳で軽快に踊る。絶妙なタイミングで相槌をうつ。客の素性は聞かない。情報は口外しない。それが心得。
かつて幇間は、厠の供をしたという。賑わいから離れた静かな場所。客がふと我に返り"里心"がついては困る。用を済ませるまでおべんちゃらを言ったとか。お座敷の道化師は実に骨が折れる。
雪の日。着物のまま池に飛びこめと言われる。顔色ひとつ変えずざぶんと飛びこむ。池の大鯉をつかみ、歌舞伎のように見得を切る。呉服店に行くと、着物一式揃ってあった。幇間と客の粋な話。
松廼家露八という人がいた。もと徳川直参の侍。剣も槍もかなりの腕前。だが遊び過ぎて勘当。幇間になる。時は幕末。薩長が江戸に迫る。侍精神が湧きおこる。彰義隊に入り上野の山で戦う。榎本艦隊で北海道に向かうものの、台風に遭い清水港へ漂着。やむなく吉原に戻る。
御一新の世。薩長の下級侍が吉原へ繰出す。粋もなければ品もない。たぎる怒りを抑え、幇間に徹する。"皆様は国の大事なお方。また色男ばかりでござんすね…"!よいしょの連発。官員様は大喜び。呑め呑め、もっと呑め。
もう勘弁なすって…。俺の酒が呑めないのなら股をくぐれ。へぇへぇ。「一の門こぐった、二の門こぐった…」子供時分の遊戯歌をうたいくぐり抜けた。嘔吐しそうになる悪酔いをこらえながら「あはは、あはは」と笑い転ける。泣くがいやさに笑っている。国宝級の幇間だ。
幇間は消えつつある。お座敷遊びも風前の灯。座敷や幇間には、日本の伝統文化が詰まっている。人の温もりや匂いがある。我々は成長や効率を追いかけるあまり、心の豊かさを失ったように思える。
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