市長の手控え帖 No.124「はやり歌を愛した君主」
日本が古代から中世へ転換するのは、11世紀中期から12世紀末。中でも12世紀後半は激動の時代だった。鳥羽院の死と継承の座をめぐる保元の乱。宮廷の内部対立による平治の乱。乱を収め中央政界に進出する平氏。激しい源平合戦。平氏を破り幕府を開いた源氏。権力者が入れかわる中、一貫して王朝政治の中心を担ったのが後白河院(以下「院」)。
院は鳥羽院の第4皇子。鳥羽院は仲の悪い崇徳天皇を退位させ、寵愛する女性が産んだ子を、近衛天皇として即位させる。これで院が皇位につく可能性はほぼ消えた。ところが近衛天皇が死去。運命の扉が開く。鳥羽院は崇徳の子を排し、院の子に目をつけた。遊びほうける院を「その器にあらず」と酷評していたが、さすがに、子をさしおいて孫を天皇とするには憚りがあった。やむなく「中継ぎ」として皇位につかせた。
院は強運だ。貴族の派閥争い、清盛や頼朝など武士勢力との暗闘、比叡山ら寺社勢力との抗争…。時代の波に翻弄され、強力な対抗者と渡り合いながらも、37年間王者の地位を保った。
明君か暗主か、院の評価は分かれる。最側近が記している。「比べようもないほど愚かな君主だ。但し優れた点が二つ。一旦決心したことは、世のルールに縛られずやり遂げる。一度見聞したことはずっと、心に記憶されている。」型破りで、風変わりな君主には違いない。
歴代天皇が、和歌と楽器を嗜んできたのに対し、今様や舞いの芸能に傾倒した。特に今様に、異常なほどのめり込む。今様とは、現代的で華やかな歌謡のこと。身分の上下を問わず、誰もが頭を揺すり口ずさんだ。美空ひばりや五木ひろしの歌を、心地よく歌うようなもの。
皇位に縁遠く気楽なこのお方。三日三晩歌い続けても飽きず、喉をはらしても歌ったという。即位しても、今様の名手とあらば、身分の低い者でも呼び寄せた。今様の担い手は、遊女・傀儡・白拍子の女性芸能者。遊女は宴会に侍り、歌や舞で座を盛り上げる。傀儡は流浪する男女の集団で、男は狩猟や人形劇に従事し、女は美しく化粧し歌う。白拍子は男装し、足拍子を鳴らし舞い歌う。
院が生涯の師としたのは、岐阜県大垣の傀儡乙前。70歳を過ぎ、固辞する乙前に、再三懇願し師弟の契りを交わす。死の床に臥す乙前を訪ね、自ら今様を歌う。涙を流し喜ぶ乙前。信じ難いことに、上皇と流浪者との間に深い交流があった。
漢詩や和歌、書は後世に残る。声わざの今様は、私が死んだら儚く消えるだろう。院は、人生をかけて鍛錬した今様を残したいと願った。それが歌詞や歌い方を集成した『梁塵秘抄』。古代中国で、美声の主が歌うと、声の響きで梁の塵が舞い上がった故事によっている。
今様は、神仏への祈り、恋愛の情、子を思う親心など幅広い。「仏は常にいませども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」。孤独と静けさの中で、仏を思う人の前に現れる尊い姿に感動する。
「我を頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ…」。あてにさせて、通ってこない薄情な男への女の呪いの歌。「遊びをせんとや生まれけむ戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ揺るがるれ」。経験を積んだ大人が、子どもの遊び声に引き込まれる様子が伺える。
今様は院の心配したように、鎌倉時代には衰退していく。梁塵秘抄もあらかた散逸したが、明治・大正にかけ一部が見つかった。異形の君主の功績は、政治上の役割よりも、今様の編さんにあったのかもしれない。昼は政治と格闘し、心のバランスを取るために、夜は今様に耽ったのか?いや、心底惚れた今様が本業で、政治は余技のように思える。
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