市長の手控え帖 No.110「『夢千代日記』にみる人間模様」
テレビドラマの名作を世に出した脚本家早坂暁が、昨年暮に亡くなった。平賀源内を主役にした『天下御免』は、現代への風刺も交え、痛快だった。松山市に近い商家に嫁いだ静子を軸に、お遍路の哀しみや、激動の時代に翻弄される庶民の生活を描いた『花へんろ』。この商家に生まれた早坂の自伝的要素も取り込み、深みのある内容になっている。
中でも最高傑作は『夢千代日記』だろう。一般的には脚本をもとに配役を決めるが、この作品は、はじめから吉永小百合を想定している。当時30代半ば。これほど美しく、心揺さぶられる女性をどう表現するか、練りに練ったという。
雪深い山陰の小さな温泉町。夢千代こと永井左千子は、母の残した芸者置屋「はる屋」を営む。夢千代は母の胎内で被曝。白血病を患い「あと三年」の命と宣告されている。限られた命を懸命に生きようとする夢千代と、芸者衆や町に流れ着いた人たちの人間模様を描く。
毎回「あんなに表日本は晴れていたのに、山を抜けたらいっぺんに鉛色の空になっている」とのナレーションが入る。治療先の神戸から山陰線に乗る。列車が長いトンネルをぬけると、日本海を見おろすようにそびえる余部鉄橋にさしかかる。ここからが『夢千代日記』の世界だ。
はる屋には、悲しい過去や心に傷を持つ女たちが肩寄せあって暮らす。夢千代が、日本海の荒波を背景に語る。「幸せはみなひといろだけど、不幸せは一つ一つ違った色をしているそうです。私を含め、はる屋にいる芸者衆が、なぜ芸者になったかは一人ひとり違います」。
樹木希林演ずる菊奴。旅回り一座の役者に惚れこむ。お座敷をすっぽかし通うほど。さんざん貢いだあげく逃げられる。泣きべそをかく菊奴に、夢千代は「あれは夢だったのよ」と慰める。菊奴の笑いとペーソスは傑出している。彼女の笑いの表地には、同じほどの悲しみの裏地がついているのだろう。
金魚こと秋吉久美子。男と心中を図り、生き残った。今は娘アコを愛情たっぷりに育てているが、実の子ではない。金魚が母でないことを知ったアコに、夢千代は「アコのために働く金魚は、生みの母よりも母親よ」と諭す。左足が不自由で、身寄りのない娘をはる屋で引き取る。芸を仕込み小夢として座敷に出る。
親切で評判のいい医師木原には、ケーシー高峰。実は医師免許を持たず、陰で事情のある赤ん坊や身寄りのない子を斡旋していた。刑事に見破られた木原は、夢千代に別れを告げ、ひっそりと町を出る。名作に名脇役あり。吉永小百合の存在は際立っているが、個性豊かな役者が奥の深いドラマにしている。
夢千代日記には、作者の原体験が投影されている。訳ありの人たちが、小さな温泉町に吹き溜まりのように集まる。夢千代はその苦しみ、哀しみを聞く。助けることはできないが、全身全霊で受けとめる。やがて夢千代の心の温泉にひたり、生きる気力を取り戻していく。
お遍路さんは、ただ黙ってお大師と一緒に歩いてもらうだけで心が救われる。遍路道の人たちも「いつか自分も不幸に遭うかもしれない。お遍路さんは自分の身代わり」と世話をする。
温泉場に流れつく挫折者たちは巡礼者。「はる屋」は遍路宿。夢千代をお大師に見立てているようにもみえる。死期を悟っているゆえに、誰かの力になろうとする夢千代を通し、人を救い救われる様を描く。早坂作品に一貫して流れているのは、弱者への眼差しだった。
吉永小百合は、明るく健気な青春スターから、大人の女優に脱皮しようともがいていた。その頃に出会った『夢千代日記』は、大女優になる記念碑的作品だ。
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