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市長の手控え帖 No.98「海の向こうの甲子園」

市長の手控え帖2

 

再び台湾について。東日本大震災から6年がたつ。あの折、台湾の人々の心温まる救援と支援金は群を抜いていた。昨年2月、台湾南部で大地震があった。お返しにと、日本で活発な募金活動が行われた。世界を見渡しても、日本と台湾の好ましい関係は珍しい。
その源は、志を高く掲げた明治人の姿勢にあった。西欧列強の植民地の治め方には二通りある。一つは、細部に入らず、現地の支配者を通し、現地の方式で統治する。もう一つは、直接役人を派遣し、自国の言葉や文化を植えつける。いずれにしても、利益を吸い上げるのが目的であり、自国に必要な範囲でしか産業や教育の水準を上げなかった。
日本の場合は違う。台湾の近代化を進め、自立を促す意思があった。文明を伝えると共に、台湾の利益になるようにという視点があった。そこには台湾を搾取の対象としてではなく、本土の一部として扱う認識があった。台湾の民主化に貢献した李登輝元総統は、日本の統治なくして台湾の発展はなく、統治を支えた日本人の心をほめたたえている。
優れた統治は教育に見ることができる。
明治政府は、各地の中心に上級指導者を育成する、帝国大学と旧制高校をつくった。一方で、商業・工業・農業・医学の専門校を細かく配置した。台湾にも、帝大と高校を、台北・台中・台南に職業校をつくった。国をあげて開拓した北海道に帝大はあったが、旧制高校はない。
教育システムの点で、北海道より台湾の方が整っていたと言える。搾取を目的に統治するのが植民地だとすれば、国内と同レベルの教育機関を置くことは、通常ありえない。しかも、貧富や出身に関係なく、魂を傾け教育にあたった。
甲子園の高校野球大会は、今や国民的行事。過去の準優勝校の中に「嘉義農林学校」の名がある。昭和6年、大灌漑排水事業の完了した年で、穀倉地に変貌した嘉南平野にある学校。だが、この嘉農野球部は一度も勝ったことがない。そこに、かつて松山商業を率いた近藤兵太郎が監督として着任した。
“甲子園に行くぞ”を合言葉に猛特訓。大人や他校の嘲笑をしりめに快進撃。あれよあれよという間に優勝する。憧れの甲子園へ。無名チームの下馬評は低い。しかし、ここでも強豪をなぎ倒し決勝へ。敗れはしたが、一球たりともあきらめない、ひたむきなプレーに、球場は爽やかな感動に包まれた。
レギュラーは、日本人が3人、台湾人(漢人)が2人、原住民高砂族が4人。マスコミの軽蔑するような言動に、「出身がなんだ、同じ球児だ」とはね返す監督。何の差別もなく、我が子のように思う心に皆奮い立つ。日本人は守備がいい。漢人は打力がある。素足で密林をかけめぐっていた高砂族は足が速い。監督は、各々の強みをいかし、分け隔てのない指導で精鋭チームに育てあげた。
感動の物語は、「KANO 1931海の向こうの甲子園」として、三年前に日台合作で映画化された。背景となった台湾の古い農村風景は、かつての日本を偲ばせ、どこか懐かしい。
台湾は日本に友好的。それは自国と同じ情熱を注いでくれたこと。蒋介石政府の過酷な支配に比べ、日本の良さを肌身に感じていたことによる。台湾に「日本精神」という言葉が残る。正直・勇気・勤勉・自己犠牲・責任感など、良いものの代名詞となっている。後藤新平や八田與一らは、日本精神の象徴として、台湾の教科書にのり、尊敬されている。
李登輝は、近頃の日本に「あれほどの教育やモラルを授けてくれた日本人はどうしたのか」と苦言を呈する。私達は、台湾発展のレールを敷いた日本人の経営力と高い志を、もうひとたび思い起こす必要があるのではないだろうか。

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