白河藩大名家墓所【しらかわはんだいみょうけぼしょ】
指定種別 | 市指定 史跡 |
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指定年月日 | 昭和39年3月6日 |
(追加指定・名称変更) | 平成22年6月24日 |
(追加指定) | 平成28年11月18日 |
所在地 | 白河市円明寺ほか |
所有者 | 白河市ほか |
面積 | 51,394.9m2 |
東北本線白河駅より南へ約1.5kmのところに位置する。
円明寺の地に存在する通称「小南湖」と呼ばれる一帯は、江戸時代に白河藩歴代藩主の菩提寺などが置かれた場所である。
丹羽長重墓【にわながしげぼ】
丹羽長重は、織田信長の重臣丹羽長秀の嫡子である。関ヶ原合戦の際、徳川方の前田家と争ったために改易されたが、のちに大名として再興した。寛永4年(1627)に白河藩10万石余を与えられ初代白河藩主となり、小峰城の改築・城下町の整備を行った。同14年(1637)閏3月4日、江戸の屋敷で死去。享年67。墓は白河石で造られた宝篋印塔である。
丹羽長重墓
松平清照墓【まつだいらきよてるぼ】
松平(奥平)清照は、幼名を鶴千代といい、主税と称した。藩主松平忠弘の嫡子であったが、病弱のため廃嫡され、貞享3年(1686)死去。享年35。法名「涼雲院殿南峰道薫居士」。子の忠雅が家督を相続している。墓は白河石で作られた五輪塔である。
松平清照墓
松平直矩墓【まつだいらなおのりぼ】
松平(結城)直矩は徳川家康の次男結城秀康の孫で、7歳で姫路藩主となるが、幼少のため越後村上藩に移され、その後姫路、豊後日田、山形と転封を重ねている。元禄5年(1692)に山形から白河に移り、同8年4月、江戸で没した。享年54。法名「天祐院殿鐡船道駕大居士」。遺骸は荼毘に付されて白河に送られ、現在地に葬られた。墓は白河石で作られた五輪塔である。
松平直矩墓
松平基知墓【まつだいらもとちかぼ】
基知は父松平直矩の後を継いで元禄8年(1695)に藩主となり、享保14年(1729)8月に江戸で没した。享年51。法名「仰高院殿實相英賢居士」。遺骸は備前の大甕に納められて白河に運ばれ、現在地に葬られた。墓は白河石で作られた五輪塔である。
松平基知墓
地図を見る:小南湖
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