和泉式部庵跡と化粧の井【いずみしきぶいおりあととけしょうのい】
指定種別 | 市指定 史跡 |
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指定年月日 | 昭和55年3月14日 |
所在地 | 白河市表郷中野字式部内 |
所有者 | 中野区 |
平安時代の才媛として紫式部、清少納言と並び称された女流歌人和泉式部の庵跡と伝えられる。式部は石川ノ郡真垣城主金子十郎国康の娘として生まれ、13才の時京都に上り大江雅致の養女としてその才学を賞され、後、上東門院(彰子(しょうし))の上局として奉仕、和泉守橘道定に嫁いだので和泉式部と称されたと伝えられる。
長久二年(1041)父国康が重病となり暇をもらい帰郷の途次、白河の関まで辿り着いたが、その頃土賊が蜂起していたため道路を通行できず、この地に留まり、草庵を結び携えて来た阿弥陀の尊像を祀りて戦乱の鎮まるを待った。しかし、
白河の関に この身はとめぬれど 心は君が里にこそ行け
一首を詠んで故里に贈り、空しく帰洛したといわれる。その後天台宗の沙門正法という僧がこの庵を再興し、その阿弥陀尊像を祀って正法院と号していたが、その後、永禄二年(1559)咥雲という僧の代、寺を白河に移して浄土宗に改めた。
現龍水山正法院常宣寺がこれである。
化粧の井と称される井もある。
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