白河官衙遺跡群【しらかわかんがいせきぐん】
指定種別 | 国指定史跡 |
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指定年月日 |
昭和59年7月21日(関和久官衙遺跡) |
(追加指定・名称変更) |
平成22年8月5日(借宿廃寺跡)※追加指定・名称変更 令和6年2月21日(借宿廃寺跡)※追加指定 |
所在地 |
白河市借宿株木(借宿廃寺跡) 泉崎村北平山古寺(関和久官衙遺跡) |
所有者 | 個人・白河市(借宿廃寺跡) |
面積 | 9,701.18平方メートル |
白河官衙遺跡群は、白河市借宿に所在する借宿廃寺跡と、泉崎村北平山に所在する関和久官衙遺跡の2遺跡で構成される。本遺跡群と白河舟田・本沼遺跡群は、半径2kmほどの範囲に分布している。これらの遺跡は、大化改新後における地方豪族の足跡を、遺跡のつながりとして確認することができる事例である。
白河官衙遺跡群位置図
借宿廃寺跡【かりやどはいじあと】
借宿廃寺跡(西上空から)
金堂跡基壇
塼仏
白河官衙遺跡群は、関和久(せきわぐ)官衙遺跡と借宿廃寺跡で構成される。
関和久官衙遺跡は泉崎村大字関和久に所在し、阿武隈川左岸の微高地上に立地する。昭和47~56年(1972~1981)の発掘調査の結果、整然と建ち並ぶ礎石建物跡(正倉院)などが確認され、7世紀末から10世紀後半まで機能した古代白河郡衙(ぐんが)(古代白河郡の役所)と位置づけられた。
借宿廃寺跡は、関和久官衙遺跡の南西1.5km、借宿集落の西端部に所在し、阿武隈川右岸の河岸段丘上に立地する。
江戸時代に編纂された「白河風土記」には、古瓦の存在と10基ほどの礎石が存在していることが記され、国造か軍団の大毅・小毅などの住居の存在が推定されている。
大正末年から昭和初期にかけては、岩越二郎による古瓦の採集や東北大学の内藤政恒による測量調査が行われた。内藤は、古瓦と塼仏(せんぶつ)の存在からこの地には寺院が存在するものと位置づけた。また、東西に並ぶ2つの基壇の存在から、法隆寺式ないし法起寺式の伽藍配置を有するものと推定している。
平成15~19(2003~2007)まで実施された発掘調査により、並列する基壇跡は西側が塔跡、東側が金堂跡と位置づけられた。また、塔跡・金堂跡の北側には、講堂跡が存在していることが明らかとなり、本寺院は法隆寺式伽藍配置を有することが確認できた。
遺物には、瓦や塼仏、瓦塔などが存在する。塼仏は、東北地方においては本遺跡だけで確認されている。
創建時期については、発掘調査の結果から断定することはできなかったが、本寺院に瓦を供給したと位置づけられる大岡窯跡の出土遺物の年代を参考とし、7世紀末の創建と考えられる。
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