検索

市政情報

市長の手控え帖 No.70「お天道様の恵み」

市長の手控え帖

いつもより早く梅雨を迎えた。農作物に欠かせない雨は、災いももたらす。近頃の気象は異様だ。一度に降る量は尋常でなく、「バケツをひっくり返す」ような雨は珍しくない。暑さも同様。埼玉県熊谷市・行田市などの暑さは耐えがたいという。ここ数年白河も格段に暑くなった。また今年はかつてない大雪にも苦しめられた。群馬・山梨では孤立者が出るなど県全域で生活が麻痺した。地球規模でも洪水、ひでり、寒波が繰り返される。

弥生の昔から、日本は米をつくってきた。米は生命の源であると同時に、米づくりを通して集落が形成され、和をもって人の関係を結び、自然への畏敬と共生を育んだ。ここから習俗・芸能が生まれ、ひいては「日本人」のものの考え方ができあがった。太陽を天道ともいう。お天道様が正常に回らないと飢饉になる。そこで神道と仏教が習合した形の祈りが出てくる。

私たちの祖先は日照りや冷夏にならないよう、害虫がのさばらないよう、ひたすら願った。早苗が緑の絨緞のように水田をおおう頃、田植えを終えた喜びと、田の神への感謝をこめ、早苗饗が行われる。ほどなく湿気に包まれ、虫が這い出る頃となる。天道様が軌道をはずれないよう、稲虫を追い払い、豊穣を祈る祭りはこの時期に行われることが多い。

「天道念仏」といわれる踊りが、関東を中心に本県南部に広くみられる。今はすたれ、辛うじて白河の関辺、西郷の上羽太等に残っている。「さんじもさ踊」は関辺の郷渡に長らく伝わる。太陽を敬い、虫送りの信仰と深く結びついている。集落の北側に小高い山があり、急な石段を昇ると八幡神社がある。ここで、毎年7月の第一日曜日に行われる。「さんじもさ」とは、山神様がなまったもの。

境内の中心にお棚と称する櫓状の祭壇をつくり、その周りを扇子を持った踊り手が太鼓に合わせ踊る。「稲の実りに邪魔する蝗虫よ サンジモサー シチャラコ チャッチャ」と膝のバネをきかしリズミカルに踊る。一休みし、ゆっくりした動きの念仏踊りが続く。最後にお棚を引き抜き、二人が向き合い見事な太鼓の曲打ちを演じる。しまいに、神社総代や若人頭を胴上げする。私も空中に舞い肝を冷やした。

疫病を退散させ、豊作を願う祭礼として続いているのが牛頭天王祭。毎年6月中旬、表郷河東田の八坂神社で行われる。境内に近づくと、若衆のつくる焼きトリや焼きソバのいい匂いがした。宵祭の時にあわせ、みるみるうちに子どもが増え、金魚すくいに歓声をあげている。牛頭天王とは、インド発祥の防疫神をいう。平安時代に京都の祇園社(今の八坂神社)に祀られ、全国的な祇園信仰となる。京都祇園祭も疫病の厄を祓う行事といわれる。

祭りでは、祭壇にキュウリを備える。祇園の神紋の形が、キュウリの切り口に似ていることによるものらしい。達者な太鼓芸でも知られている。かつては近隣から多くの青年が集まり、盛大な太鼓の競演が行われていたという。この地区には、伝統行事が引き継がれ、集落の活力を感じる。

「講」といわれるものがある。同じ信仰を持つ人の結社や、広く行事や会合のことをいう。有名な神社・寺院を参拝するための講もある。講から数人が代表し参拝する「代参」が一般的で、「熊野講」はその代表的なもの。夏土用の頃、神社で餅をつく。あんこ・きなこ・納豆と好みの餅を集落全員で食べ、話に興じる。熊野に詣でお札をもらい、村に戻るのが丁度土用の頃となり、代参人の慰労をかねていたという伝承がある。野山に命みなぎる時は病虫もうごめく。逆に、人は弱る。餅を食べて元気をつけ、疫病や災厄が入らないよう祈願したものと思われる。

子どもの誕生や成長を祈る「子安講」という行事がある。大和田では、2月と9月に、長寿会の婦人と若い婦人が子安観音堂に集まり、数珠を繰り鉦をたたき念仏を唱える。この4月、表郷小松北ノ内地蔵堂の地蔵菩薩像が市文化財に指定された。最近まで安産を願い、叶えばよだれ掛けを奉納する風習があった。

見学に行ったら、婦人が6人ほど集まっていた。子安様を長く拝んできたが、頭巾をし、掛けものを首に掛けた姿しか見ていないという。頭や首のものを取ってみると、700年昔の作と思えない、若々しく上品な顔立ちのお地蔵様が現れた。見つめる目はうっとりしていた。乳呑子を抱き、地蔵菩薩様に感謝し、楽しく語らった若妻の昔を思い出しているようだった。

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは秘書広報課です。

本庁舎3階 〒961-8602 福島県白河市八幡小路7-1

電話番号:0248-22-1111 ファックス番号:0248-27-2577

メールでのお問い合わせはこちら
スマートフォン用ページで見る