市長の手控え帖 No.63「“夜明けの歌”を口ずさみ」
楽天の優勝で久し振りに東北が湧いた。しばらくプロ野球から遠ざかっていたが、決戦の日は釘づけになった。前日、不敗のエース田中で逆転負け。流れが変わったかと思われたが、被災地の切なる思いがのり移り完勝。今年は楽天でいいと思った。私はアンチ巨人でも大の楽天びいきでもない。ただ神宮を湧かした明治大のエース星野のファン。「東北の人を少しでも癒してあげたい、勝つことでしか喜びをあげられない」との監督の言葉は心にしみる。スポーツの力は大きい。
2020年のオリンピック決定は勿論うれしい。だが、もろ手をあげて喜べないのが偽らざる心境だ。めでたさも中ぐらいというところ。沿岸部の復旧はこれからが本番。原発避難者の、帰還の見通しはたたない。中間貯蔵施設は、いつまでどこにつくるかも明示できていない。総理は状況はコントロールされていると公言したものの、汚染水処理は困難を極めている。
出口の見えない中で、オリンピック熱に浮かれ、被災地が忘れ去られていくのではと不安になる。いや忘れたがっているのでは、と疑ってしまう。県民は困難を乗り越え、世界のスポーツの祭典を楽しみたいと願っている。あと7年のうちに、廃炉への道筋をつけ、放射能の後遺症を取り除かなければならない。それには国が全面に出ること。県も福島全体の振興に向け本来の役割を果たすことが求められている。
時代には気分のようなものがある。前回の五輪の頃は、どん底から復興に向かう高揚感があったという。田舎の中学生に実感はなかったが、その雰囲気は伝わってきた。新幹線や高速道路のことを耳にし、圧倒的なスピードや技術力に驚嘆した。誰もが成長や速さに将来の夢と希望をみた。時代の転換点になったのもこの頃だと思う。それはスポーツにも現れている。技の栃若から大型の柏鵬へ。職人川上から天才長嶋へ。
歌謡曲にも変化が出てきた。それまでは三橋美智也「りんご村から」春日八郎「別れの一本杉」など故郷を懐かしみ、土のにおいのするものが多かった。やがて、都会の薫りや哀愁、青春の輝きを表現する歌が目につくようになった。先がけがザ・ピーナッツ。双子の抜群の歌唱力とリズム感にうっとりした。詞にも惹かれた。「ふりむかないで」「恋のバカンス」の〈今ね 靴下なおしているのよ〉や〈裸で恋をしよう 人魚のように〉は可愛いらしく、みずみずしい。「ウナ・セラ・ディ東京」の〈街は いつでも 後ろ姿の 幸せばかり〉は短い言葉で寂しい心の情景、まちの景色を描く。
あれは高校2年の音楽の授業だった。今でもはっきり覚えている。若々しい相沢先生のピアノで加山雄三の「君といつまでも」を歌った。詞をながめ気恥ずかしかった。〈幸せだなァ 僕は君といる時が一番幸せなんだ〉。特に印象的なのが〈君はそよかぜに 髪を梳かせて やさしくこの僕の しとねにしておくれ〉。髪を梳かせて しとねにする。どんな意味だろうと頭をひねり、なるほどと感心した。詞の新しさと響きに吸い寄せられた。この作詞家は誰だろう。
岩谷時子。先頃97歳で亡くなった。宝塚で越路吹雪と出会いマネージャーになる。極度の緊張に震える越路を『あなたはトラ 何も怖くない』と励ましステージに送ったという。「愛の讃歌」「枯葉」などシャンソンの訳詞もつけた。ミュージカルにも活動の場を広げ、「王様と私」「レ・ミゼラブル」など名作を手がけた。
60年代に歌謡曲の世界に入った。岸洋子「夜明けの歌」はオリンピックの年の作。悲しみをのり越え這いあがる日本人の心象風景が、叙情的メロディにのって見事に表現されている。「恋の季節」の〈夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと〉は流行語になった。フランク永井「おまえに」は夫婦の情を深く感動的に謳いあげ、「ほんきかしら」で"泣き"の島倉千代子のイメージを陽に変えた。岩谷は生の喜び、生の輝きを詞にした。社会を切り取る目と豊かな感性で、新しいジャンルを確立した。楚々とした上品さの中に華があった。独身だったが『歌の中でたくさん恋をしたから もういいの』と屈託なく語った。とらわれない心で、夢とロマンを紡いでくれた岩谷先生に感謝したい。
長いこと日本は自信を持てなかった。しかし、世界は安全・経済・文化面でまだまだ優れていると見ている。〈夜明けのうたよ あたしの心に 若い力を 満たしておくれ〉〈風にふるえる 緑の草原 たどる瞳かがやく 若き旅人よ〉。若い力を呼びおこし、輝く瞳で明日へ進んでいきたい。良い年をお迎えください。
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