市長の手控え帖 No.45「”いい顔”の人」
よくいい顔といいます。目鼻立ちが整っている美男・美女とも少し違う。説明は難しいが、なんとなく分かる。近頃いい顔の人が少なくなったといわれる。特に政治や経済のリーダー層において。むしろ、市井の中で黙々と暮らす人にいる。大震災にうちひしがれながらも、これを受け容れ、目を前に向け歩き出している人の中に、思わず頭の下がるようないい顔がある。
学生時代の下宿に、北九州市近郊出身の先輩がいた。今高島屋の役員になっている。地元の名門に生まれ、長兄は当時法務省の検事。お母さんは末っ子の先輩がとても心配らしく、よく下宿に見えられた。温かく気配りのあるいい雰囲気の方でした。長兄の高校の同級生に高倉健がいた。
あの頃は任侠映画の全盛期。東大紛争では「止めてくれるなおっかさん。背中のイチョウが泣いている」が立看板になった。私はこの手の映画は好まなかったが、健さんは好きだった。整ったきれいな顔。少ないセリフ。抑えに抑えた感情を目と背中で見事に表現する。あの頃健さんの色紙を戴いたが、引越しのさなか失くしてしまった。後に人の哀しみと心の交流を演じ、魂を揺さぶる国民的俳優となる健さん。惜しいことをした。
そして映画史に残る傑作が登場する。幸せの黄色いハンカチ、八甲田山、駅、遥かなる山の呼び声、鉄道員…。健さんは刑事、土木技師、将校、駅長、心ならずも手を染める罪人を演じる。武骨・不器用ながらも懸命に生きる。哀しみを抱え、愁いを帯びた顔。心を隠しひそかに女性を慕う。理解されようと思わないのか、大事なことは言葉にできないと思うのか、すっと静寂の世界に入る。その代表が「駅」。
舞台は日本海に面した北海道の増毛。なおさら淋しさがつのる年の瀬の居酒屋。心に傷を持つ刑事と様々な苦節を耐えてきた女将。黙々と飲む男。カウンター越しに酒をつぐ女。やがて女は男の脇に座る。弾む話題はなく、話もとぎれとぎれ。しかし生きることの悲哀・せつなさが沁み込んでいる二人。心で話し、分かりあっている。女がいう「水商売をやっている子にはね。暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる?男が家庭に帰るからよ」。どうしようもない淋しさ、寄る辺なさ。八代亜紀の「舟唄」が流れる中、束の間のふれあいが胸をしめつける。
女将役の倍賞千恵子も現世を生きぬく女性を演じている。「男はつらいよ」のさくらとは一味違う。高倉健という名優が、吉永小百合、大原麗子、大竹しのぶらの才をさらに引き出している。健さんは文句なくいい顔、そしていい男です。
ちなみに、江戸末期に、商家のご内儀たちだけで伊勢・善光寺・日光へ旅した折の紀行を著した「東路日記」がある。この著者が健さんの五代前の小田宅子です。立派な人には立派なご先祖様がいるもの。宅子さんもとびきりの美人だったそうです。
ある会合で河野洋平さんにお会いした。大地震と原発災害へ丁重な見舞いの言葉を戴いた。話の中で、率直に政治や社会への思いを述べられた。政治家の質が落ちた。ロマンを語る経済人がいなくなった。与えることばかりで、負担や我慢を口にしなかった。将来を設計するという大事を怠った。小選挙区の導入は失敗だったこと等。洋平さんは国政の中枢にかかわり、功成り名遂げた。でも自分の手柄を誇らない。むしろ、忸怩たる思いをこめ、自分の歩みを振り返っている。その内省的な顔にはひかれるものがあり、一流の人格が醸し出す風圧を感じた。
洋平さんは、保守のプリンス・良識といわれた。細川政権で自民党が野に下っていた時の総裁。公家集団と揶揄された宮沢派に身を置き、権謀や力業は苦手。闘争心に欠けるとの批判もつきまとう。しかし紛れもなく上質の人です。政治に品位を求めるのは無理との言もあるが、国を担うものこれにふさわしい品格を持つのは当然。総理にはなれなかったが、国権の最高機関の衆院議長は、誠によく似合っていた。ときに与野党の見識なき振舞いを諫め、小泉総理に苦言を呈した。国士の風貌が漂っていた。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。黒い大きな瞳で、友人に対するような口調で語られる姿に尊敬の念を覚えた。
東京オリンピックの頃、三井物産の社長を経て、義侠心から国鉄総裁を引き受けた石田礼助という人物がいた。国会での言動が乱暴・不親切との批判に、「粗にして野だが卑ではない」といいきった。心根が卑しくないこと。いい顔に欠かせない要件です。
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